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  • 執筆者の写真雨咲

【三歌】むすびのあいだで(3)


歌仙の本音、そして三日月宗近の帰還




実のところ僕たちは、先の大きな戦い以降ほとんど口をきいていなかった。とはいえ顔を合わせなかったわけでもない。思いのたけを込めて彼の鳩尾にめでたく一発お見舞いすることも叶った。本丸が守られ、残った敵を掃討していた間はしばらく同じ部隊で合戦場に赴いたりもした。「一度、あの場所を見てみたい」と彼から申し出が主にあったためだ。主はそれをあっさりと了承したのでそうなると僕にはもう断る権限はない。

ではなぜ言葉を交わさなかったかというと、それは僕の勝手な心情の問題だった。無論そういう気分にさせた彼にはとても重大な責任がある。だからとって彼だけを責める気にもなれず、一方で全てを許す余裕も持てなかった。この時ばかりは他の本丸の歌仙兼定はどういう感じで三日月宗近に接していたのか気になった。

そして何も解決しないまま彼はあっさりと旅立っていった。

「―良かったのかい?」

今日の厨番は僕と青江、それから確か物吉貞宗と不動行光だ。先に用事を済ませたらしい青江がやってきて、隣でトマトの湯むきを手伝ってくれている。

「何が?」

「何って、三日月のことだよ。今日にはもう戻ってくるだろう」

「あぁ、そうだね」

「結構呑気だねぇ」

「修行なんてみんな行くものだろう。彼が今まで先延ばしにしていたのがおかしかっただけさ。そこから僕は疑るべきだった」

「いや、そうだけれども。戻ってこない場合だってあるじゃないか」

「まぁそうは言われているね。でも稀な場合とも聞いている」

「本当にあっさりしてるね。今までの鴛鴦具合は一体何だったんだい」

「それはどうかな。もとから僕はこうさ。向こうが誤魔化していただけだがね」

「もしかして結構引きずってる?」

「さぁね」

「このまま自然消滅にてもするつもりとか?」

「それこそ向こうの身の振り方次第さ」

「……」

黙々とトマトの山を鍋に入れ、柔らかくなるとザルに上げるを繰り返す僕をみて、青江は怪訝な顔をする。それでも僕は何とも思わない。ここで偽ってもなんの意味もない。

「さぁ、トマトはこれで全部だ。剥いたらこっちのボウルに入れておいてくれ」

「あ。あぁ、わかったよ」

「さて、少し時間ができたから僕は別の作業をするよ」

僕は既に用意しておいたお櫃に目をやると、覆っていた布巾を外して中身の冷め具合を確認する。ちょうど良い頃合いだ。塩を用意して手を洗い、湿った掌にしゃもじで掬った米を乗せる。

「あれ。今日は遠征あったかい?」

背後から青江の声がする。

「今夜は槍と薙刀が飲み会だそうだ。夕食はいらないが代わりにこれを所望されてね」

「へぇ、歌仙くんのおにぎりは美味しいからね。具はどうするんだい」

「とりあえず焼き鮭と鰹節は用意してある。あとは昆布にしようかと」

「へえ。梅干しは?」

「えっ」

「梅干し入りは作らないのかい?」

「あ。あぁ……そうだね」

何気ない質問にハッとする。そんな僕の様子に青江がクスクスと笑い出す。

「確か三日月は梅干しが苦手らしいよねぇ」

「……あぁ」

僕は無意識のうちに、飲み会用だけでなく今夜戻ってくる彼のためのおにぎりを準備しようとしていたらしい。

「やっぱり、だいぶ気掛かりだろう。彼のことが」

「……」

梅干しが入っている壺を棚から取り出しながら青江の意見に口ごもる。

「でも安心したよ。彼だってきっとお腹を空かせていると思うからね」

青江も僕もとうに修行を済ませているから大変さは身をもって知っている。僕も肥後からの帰路で考えていたのはこの本丸での穏やかな暮らしだった。

「……でも、彼もきっと同じ思いだろうかと、少し疑わしかったんだ」

「なるほど」

「僕だって椿寺の所以を知ったのは、政府からの通信の後だった」

「うん」

おもむろに話し始めた僕を、青江はなにも否定しない。

「彼はそれまで、思いつめる素振りを一切見せてこなかった。確かに誰にいうかは人を選ぶ、それだけ大きな事情だったから全く理解できないとまでは思わない。だけど」

「うん」

「……正直なところ、僕すら信用されていないのかと、少々落胆もした」

「それは、そうだよね」

「でも、それだけで終われたらどれだけ楽だったろうも今は思う」

「……へぇ?」

僕が梅干しを用意した後何もしていないうちに、青江の方はトマトを全て剥き終えたようで、トマトが乗った器を持ってこちらにやってくる。

「主には無理なら僕にだけは前から言って欲しかった。それと同じくらい、僕は初期刀としてまだまだ未熟だったのかとも思い知らされたよ」

「……そうか」

「この本丸が発足してから今まで、できる限りのことはと思って色々やってきた。主や、ここに集う刀剣のために何が最善かを僕なりに模索して勤めてきた。それが、彼の全てを聞いた時、自信が少し揺らいでしまった。僕としたことが情けない」ねえ

「歌仙くんが頑張ってきたのは僕もよく知っているよ。感謝している」

「それは当り前さ。野暮な褒め方をするねえ」

「あれ、意外と凹んでないんだね」

僕の言い分に青江があははと笑う。

「……でも、三日月も君を気遣ってくれていたのかもしれないよ?」

「……きみ、彼の肩を持つ気かい」

「僕は中立だよ。この本丸の対刀関係がうまくいってほしいと思ってのことさ。それに」

「それに?」

「また戦場で伝言ゲームをさせられるのはもうこりごりだからねえ」

「あ、あれは……流石に申し訳なかった」

防衛フィールドに彼と揃って赴いても戦が滞りなく進んだことには、ひとえに同じ部隊に青江もいたことが大きかったのは否めない。

「ふふふ、まぁ今となっては面白い思い出だよ」

「でもこれだけは言わせてくれ。彼のあれは、気を遣ってどうなるという内容でもないだろう。この本丸全てに関わることだ。それこそ顕現してすぐにでも聞きたかったよ。話し合う時間はいくらでもあったはずさ」

「そうだねぇ。君が着替えや身繕いの世話でもする際に、さわりくらいは教えてほしかったよね」

「青江はどう思う?」

「何がだい」

「例えば、石切丸が重大な隠し事をしていたなどと分かったら、きみはどう思うんだい?」

僕の問いに青江は腕組みをしてしばし思案する。

「……そうだねぇ。確かに、全く穏やかなままでいられる自信はないかな。でもね」

「でも?」

「石切丸のことだから言えるのかもしれないけれど、そういうのも含めて、彼は本当に優しいひとだな。と思うかも」

「優しい……ねえ」

「優しさって、人によって違うものじゃないかな。君だって、和泉守兼定や大倶利伽羅のことを怒ることはあるけれど、それは彼らや周りを思ってのことだろう」

「……それは、まぁ。大倶利伽羅に至っては、彼というよりは周囲の足を引っ張るなという意味でだが」

「でも、彼らを困らせるつもりはないだろう」

「そんな動機で怒る暇があれば、庭に今朝咲いた花を愛ていたほうが気が休まるね」

「だからそういうものなんだよ。三日月が大事なことを言わないのは」

「……ふん、」

「あれこれと言う優しさもあれば、言わない優しさもある。と言えば、分かりやすいかなぁ」

「……あぁ、そういう」

そこで僕は少しだけ納得することができた。確かに僕が誰かを注意すると、時々―特に大倶利伽羅や加州清光などから「いちちうるさい」とか、「そんなこと分かっているって!」などと反論されることがままある。彼らの心情は、今僕が三日月宗近に抱いているそれに近いというのか。

「歌仙くんはあまり周りから指示されることが少ないからね。気づきにくいとは思うけれど」

「わ、悪かったね」

「いや、初期刀ってそうなることも多いらしいよ。別に偉ぶるわけじゃあなくてもね。演練の時、よその本丸の陸奥守吉行も言っていたよ」

「きみは本当に、よその本丸の刀にも平気で声をかけられるねえ」

「おや、うちの歌仙くんでも流石に他の本丸の刀には人見知りするんだ」

「悪かったね。人見知りで名の知れた刀で」

「ふふ、さぁそろそろ支度を進めよう。帰ってくる彼のために丹念に揉み込んであげようじゃないか……海苔のことだよ?」

「あぁ、そうだね。それとトマトとメカジキの煮込みもしっかり作るよ」

「楽しみにしているよ」

やはり気心の知れた刀と話すのも悪くない。そう思いながら僕はさっきよりは落ち着いた心持ちでおにぎりを作り始めた。」」



その晩、障子の向こうから薄く差し込む光を見つめて僕は長く感じる時間をやり過ごしていた。周囲はは寝静まり始めていて、間もなく日付も変わるだろう。

彼が旅立ったのも、夜深くになってからだった。

「―すまんな」

薄い微笑みを浮かべる彼に、僕は黙って荷物を渡す。

「ここまできて、また皆を騒がせるのもと思ってな。人払い感謝する」

見送りは僕と主だけで執り行った。修行前は極力旅立つもの自身の希望を尊重するというのが通例だ。直前にあれだけのことがあったにも関わらず、彼の場合も例外ではなかった。

しかし僕は、黙々と翌日の分の軽い食事と持てるだけの荷物を拵えて、修行中の付喪神と判別するための装束を着せてやり、そして微笑みのまま遠ざかっていく彼に小さく手を振ることしか結局できなかった。そして今に至る。時間的にはもういつ戻ってきてもおかしくはない。

だんだん僅かな明るさも煩わしく感じてきて、僕は寝返りを打つ。

「―今日は月が見えんな。戻る日には満ちて、会いたいものだ」

返事もろくにしない僕に構わず、彼はずっと何かを喋っていた。それでも今思えば。僕は無意識のうちに耳をそば立てて、彼の一言一句を聞き取っていたようだ。

「全く、ほんとうに満ちているうちに帰ってくるつもりなのかねえ」

一向に瞼が重くならない。明日は朝の厨番ではないが、夕方から月見の宴だ。その準備を午前中から燭台切とすることになっている。そんな予定すら邪魔しようとするのかあの爺は。

そこまで思うと横になっていることすら馬鹿らしく思えてきたので、僕は身を起こしてそばに畳んでおいた羽織に袖を通すことにする。心がざわついたまま横になっているより、散歩でもして過ごしたほうが有意義だ。障子をそっと開き、縁側で草履に足を通した。



風がないせいか、羽織が少し熱く感じる。昼間は慣れた道でもこうして闇の中で歩くとどこか違う風景の中にいるとような気がして、そこでようやく気分が高揚してきた。

「……見渡せば 千林万花こき混ぜて、」

彼の前で詠んだ句を反芻する。

月光に照らされた本丸と周囲の花や木々を思うに僕もなかなか傑作を生み出したと思う。しかし、今の僕の心に月はいない。目の前にはこんなに近くに見えるのに。

「……あぁ、らしくないな」

ため息まじりにそうつぶやいた矢先だった。

「……大廈ぞ春の 錦なりける。だったか」

背後から嫌と言うほど聞いてきた声。

「……っ⁉」

思わず振り返る。暗い中ではすぐには姿を完全に捉えられない。それでも声の主は気配を崩さず、ささやかに笑っていた。

「そこまで驚いたか。旅のおかげで鶴丸国永にも少しは勝てるようになったか」

「みか、づき……?」

確信して名を呼ぶと、返事の代わりに彼は一歩歩み寄る。満月に限りなく近い光のもとに、闇より深く、しかし月にも負けじと冴える装束の色が浮かび上がる。

「……はは。どうやら迷子にならずに戻れたようだな」

平安の世の帝を彷彿とさせるその風貌は、以前にも増して穏やかに見えた。

夢でも見ているのか。野暮な憶測が頭をよぎるも、確かめたくて僕もゆらりと彼と距離を詰める。それに応えるかのように彼はそっと右手を差し出してきた。恐る恐る掌をそっと己の指でなzる。あたたかい。

「……戻って、きたんだね」

「あぁ。月が戻ってきたぞ。そうでないと伴侶がうるさいからな」

「伴侶? もしや貴殿は旅先で僕に隠れてそんなに好い人でも見つけてきたのかい。あぁそれとも、貴殿の言うところの、『前の本丸の僕』にでも再会したのかな」

「そうきたか。相変わらず手厳しいな」

「手厳しくもなるさ。僕らには色々ありすぎたからね」

そんな会話をしながら僕は繋いだ指先から視線を上げ、彼―三日月宗近の表情を捉える。あぁそうだ。この笑い方は間違いなくこの本丸の三日月宗近だ。

やがてどこからか、周囲には徐々に他の刀が集まってきた。最初は今夜の寝ずの番の源清麿と鯰尾藤四郎、それから主の手を引いて愛染国俊、さらに部屋が近かったせいか寝巻き姿のままの堀川国広と和泉守兼定、三日月と同派の石切丸ものっそりと小走りで現れる。その後はもう把握ができず、お帰り! と帰還を讃える大合唱が始まった。

「帰ってすぐに、玄関の鈴だけは鳴らしておいた」

おかえりなさい! と叫び駆け込んできた今剣に飛びかかられながら三日月から敬意を説明され、あぁなるほどと納得した。

「……それは貴殿にしては上出来だね。だけどね、鳴らしたあと場を離れては迎えに来たものに迷惑になるよ」

「あ、あぁ。あいすまぬ」

初期刀として忠告すると、三日月は頭をかいて苦笑う。今までと同じ、修行を終えたものを迎える時の景色。

そこでふと、思えば僕は彼と普通に言葉を交わしてしまっていたことに気づいたが、半分そんなことはどうでも良くなっていた。

「そういえば歌仙、」

「なんだい?」

「歌仙やお前、もしかして……泣いているのか」

「えっ、」

「そんなに俺の不在が寂しかったか」

歓声の中に紛れてそう指摘され、ようやく目頭が熱くなっていた。そして三日月の手が頬を滑り、その軌跡が涙の流れた方向を伝えてくる。

それでも僕は目をきつく瞑り、苦々しくこう言い放つ。

「べ、別に……こtれはただの、嬉し泣きだよっ!」

 そんな僕に彼はあっははと声を上げて上機嫌に笑った。

「はは、まぁ俺もようやくお前を泣かせることができるようになったということか。嬉し泣きの意味だぞ」


【了】









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